死に至る病とは絶望の果てに彳む虚無である -1-

随筆

このまま死ぬのだろうかとぼんやりと考えていた。
才能不足と悪環境のせいにして、何もかもどうでもよくなった。
そろそろ一週間以上になるか、何も口にしていない。学生の俺は塗装のはげた木の窓から射し込む光を見つめていた。残る気力のすべてをそこに集めていた。
虚無の深い底に沈み、生ける化石になりかけていた。

2・3日水だけですごすという事は珍しくなかった。たまに奮起して単発のバイトをこなし、わずかな食事で生きながらえていた。雑草も試したが、そこいらにあるものは筋が硬くてどうにもならない。城の堀に鯉がいたなと思い出し、夜中に木刀を持って行ってみたが、でかいのばかりで駄目だとあきらめた。
ふと、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉が脳裏に浮かんだ。
もうどうでもいいやと部屋で寝転がり、
「どうしておなかがへるのかな・・・おなかとせなかがくっつくぞ」
って歌があったななどと、つまらない事ばかり考えていた。
ひとつ合点がいったのは、あの歌の作者は実体験を歌詞にしたんだなということ。
臍が畳にくっつくんじゃないか、その時俺は死ぬんじゃないかと真剣に考えた。

人生終わりにしてもいいかもなと考えはじめていた頃、案外死ねないものなんだなと思える事があった。
ちょっといかれた隣人がいたのだが、奴は夜中に何か叫ぶと窓を開けて小便を外へ放つことがあった。いや、音だけでの想像だが、まぁ間違いない。昼間出会うときはいたってノーマルなので不思議であった。だがそんな事がいつまでも看過されるはずもない。何しろ放たれた小便の着地点は隣家の庭なのだから。
ある日奴はいなくなった。故郷の兄が来て連れて帰ったのだ。おとなしく従ったようだ。で、その兄が当方を訪ね、「御迷惑をおかけしました」と言って大量の干蕎麦をくれた。
想定外の御馳走で、それからしばらくは何となく生きていられた。電気ガス水道は、部屋別に管理できない古い古い木造アパートだったのも幸いだった。もちろんトイレは共同。まとも(一般的にはまともではない)な飯を食べても気力は特に戻りもせず。蕎麦がなくなればまた天井や窓を眺めて、暗くなったり明るくなったりするのを寝たり起きたりしながら、何時かなどうでもいいかと呟く日々を重ねた。

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