帯塚さん、岩崎山、田縣神社

随筆

心の働きというのは不思議なもので、過去に思いを巡らせていたわけでもないのに、ふと子供の頃の思い出がよみがえる事がある。
先日、小牧市へ行ってきた。県営岩崎住宅、小学校4年まで住んでいたところだ。その一角に祠がある。帯塚大明神という。当時は「帯塚さん」と呼んでいたと思う。
「そういえばお礼参りしてなかった気がするな」と突然脳裡に思いが浮かんだのだ。たぶん小学校2年か3年かだったと思うが、母が水疱瘡に罹った私を連れて帯塚さんへ治癒祈願をした。
もちろん医者にも診てもらったが、母は帯塚さんにお参りしたおかげで治ったと考えていたようだ。
母は律儀な人だったからお礼参りしていることと思うが、私には記憶がない。それでお礼しなければと思い立った次第だ。
それをきっかけにつらつらと当時の自分を振り返ってみると、いろいろやらかしていたことに気付いた。とりわけ田縣神社と岩崎山、これらは当時の遊び場で、外遊びが好きな私は神聖な場所を随分と穢していたかもしれないが、バチがあたったという覚えもない。神様仏様は、子供だからと大目に見てくれたのかもしれない。であっても今は思い出したのだから御挨拶しておかなきゃいけないなと少し殊勝な気持ちに駆られて、近づく雨の気配もよそに車を出した。
名鉄小牧線味岡駅近くのコインパーキングに駐車すると小雨が降り出した。なぜだか「ようこそ」と言われたような気がした。
当時の、味岡小学校へ通っていた頃の道を思い出しつつ、まずは岩崎住宅の帯塚さんへ向かった。
住宅は全面的に建替えられていたが、事前にグーグルマップで調べておいたこともあり迷うことはなかった。実写画像であたりをつけておけるのは有難い。ほんとうに便利な時代になった。
「その節は病気を治していただきありがとうございました。お陰様で元気にやっております。ですが子供だったためとても失礼なことをしてしまったかもしれません。どうかご勘弁ください」
などとお礼と謝罪のお参りをさせていただいた。

次は岩崎山の五枚岩。こちらは熊野社の一角とのこと。子供で畏れを知らなかった私は、あの岩の隙間に入り込んでみた覚えがある。よく天罰があたらなかったものだ。
こちらも御礼と謝罪を伝え、お祈りした。
岩崎山には石切り場趾があり、たまに水晶を見つけたりした。あの頃の子供達は、外遊びしているときが一番輝いていた気がする。

そして田縣神社。祭好き、特に奇祭が好きなら、こちらの豊年祭はあたりまえに知っているだろう。大男茎形(おおおわせがた)を供物として祀ってある神社。
社殿裏に神域とされる林があるが、好奇心旺盛で畏れを知らぬ子供の私は当然忍び込んだ覚えがある。神様というものは、無邪気な子供には優しいのかもしれない。お礼と謝罪のお参りをさせていただいた。錯覚かもしれないが、今回見た神域は、当時より狭くなっていたような気がした。そうだとしたら少し何となく寂しい。
現在おこなわれてているかわからないが、当時の祭では餅投げがあり、大人の足許をかいくぐり拾いまくったものだ。見世物小屋も出ていた。親からは入るなと言われていたが、そう言われれば入るのが子供の習性。生きた蛇の頭を咬みちぎる蛇女に度肝を抜かれたのはいい思い出。
屋台のお目当てはリンゴ飴、連れともども口の端を真っ赤にして笑っていた。雀の焼鳥なんてのもあったなぁ。

忘れてしまっているだけで、子供の頃に、他にも何かやらかしてしまっていることがあるかもしれない。いや、あるはずだ。また、ふと思い出したなら謝りに行きたいな。なんだか少しだけ優しい人になれた気がする。

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