死に至る病とは絶望の果てに彳む虚無である -4-

随筆

心と体は不思議な関係性があると実感した。もう一度?生きて行くと決めたことで、かなり動けるようになった。どいういうわけか、水が不味くなくなっていた。着替える気力が出た。歩く自信が出た。何か食べなきゃと思い、コンビニへ向かった。

少し気力が戻っても、どこかまだ病んでいたのだろうか、歩いていると工事用のヘルメットをかぶったオッサンの頭が浮かんでいるのが見えた。幻覚かなと思ったが、妙に存在感があり、関わらない方がよいと感じて無視するようにつとめた。帰宅時にはいなくなっていた。
買ってきたのはカツ重。なぜか一択だった。
そういえば、初めてカツ重を買った時には混乱したな。卵とじになっていないのだ。御飯の上にキャベツ、その上にソースの染みたカツ、そんな具合。嘘だろと思った。その頃の俺はソースカツ丼なる存在を知らなかった。しばらくして真のカツ重は卵とじカツ重として売られるようになった。卵でとじていないなら、それは重にする意味や丼にする意味は何なのか、洗い物が減るということくらいか。
後年、カツ煮定食というものに出会い、ソースカツ丼やソースカツ重の存在を否定しがちだった自分が稚拙で愚かであったことを悟った。ま、どうでもよい。

俺はカツ重を食べた。本当はこんな時にこんなものを食べてはいけなかったのだと後でわかった。極度の空腹が続いたのだから、重湯とか粥を選択すべきだったのだ。といっても、病院へ駆け込むような事態にはならなかったが、半年ほど空腹感を感じなくなってしまった。というか、胃の存在感が無くなってしまったのだ。一生このままなのかと心配したが、まぁ、感覚が戻ってよかった。

「みなおなじ」
その具体的な解釈や現世での応用方法を日がな一日考えたり、単発のバイトをしたりして数ヶ月、俺は実家に戻ることにした。
情けない話だが実家に金を借り滞っていた家賃を払い、少ない荷物をまとめて赤帽に依頼した。この惨めさを払拭するには、早く職を見つけ自立しなければならないなと決意した。少しだけまともな人間の心が蘇ってきていたのだろう。

実家に戻ると父には怒られた。当たり前だ、殴られてもおかしくはない。だが短い説教で済んだ。
当時は気づきもしなかったが、両親は俺の心がかなり病んでいると見てとったのだろう。帰宅した翌日以降、俺の学生生活の事には一切触れなかった。彼等は俺には素振りを見せることがなかったが、かなり悩んでくれたのだと思う。ある日ジグゾーパズルを買ってきて一緒にやってくれた。それで俺の心が癒されるかもと気遣ってくれたのであろう。本当に優しい父母だった。
俺は、就職関連雑誌を見て会社訪問を始めた。父が知人に頼んでみようかと言ってくれたが、それでは駄目だ、自立のはじめの一歩が親だのみなんていけないと思い、
「もうしばらく自分で探してみて駄目だったらお願いします」
と遠慮した。
幸なことに一ヶ月ほど活動して、大学中退の俺を新卒扱いで受け入れてくれる会社が見つかり入社した。
父は、
「よく自力で見つけたな、見直した」
と嬉しげに優しい眼差で言ってくれた。自室に戻った俺は、静かに泣いた。
永くて短い第二の人生が始まった。

絶望という強い感情があるうちは、死はまだ隣にいない。絶望の冥い輝きさえ消えた荒野に彳む虚無こそが、死と肩を寄せ合うのだ。そして、そこから抜け出すには他者の声が必要なのだ。それは神の声かもしれないし宇宙が伝えるものかもしれないが、いずれにしても自身の内面、心の深層のさらに奥底にその声は密かに置かれている。何者かがその事を伝えてくれるのだ。それを救いというのかもしれない。

「みなおなじ」という真理の探究は、今も続いている。

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