死に至る病とは絶望の果てに彳む虚無である -3-

随筆

このまま死ぬのだろうなとぼんやりと考えていた。感情は薄紙のごとく希薄になっていた。死んだら誰が悲しむかとか嘆くだろうかとか、そんな感情は一切なかった。

正確に言えば、死ぬという意識と少し異なっていた。高校生の頃から淡い願いが絶えずあった。それは、散歩か何かで歩いていてそのまま体の輪郭がぼやけ、体自体の色合いも薄くなってゆき、次第に陽炎のように揺らめきながら大気に溶け込んでしまいたいということ。俺にとっては、それが理想の死であり昇華であった。現世から隠れ去るという願い。
だから、餓死というのは少し違和感があったが、今はどうでもよいという気持ちが勝っていた。
死への恐怖はなかったが、窓から射し込む光を見ていたら、このまま死ぬのは悔しい気がするなと、ほんの少しだけ意地みたいなものが蘇ってきてすぐ忘れた。

どれほど時間がたったかわからないが、目が覚めるとどうやら早朝のようで、小鳥たちが騒いでいた。いつも通りの朝食の儀式。
無理矢理奮起してバイトでもしてみようかとも思ったが、そんな体力はもちろんない。遺言書でも書こうかと思ったが、残したい言葉などありはしない。
やっぱり俺は無能な馬鹿野郎だな、なんてことを幾度も繰り返し考えていて、ふと思いついたことがあった。
こうなったら何もかも総ての事を考えてやろう、小さな事大きな事何もかもだ。この世から消えるまでに、この宇宙のあらゆる事を考え尽くしてやろうと思い立ったのだ。

2・3日過ぎたある日、考えるのに疲れてぼぉーっとしていると、声が聞こえた。
「みなおなじ」
その一言は、俺の腹に落ちた。なんの疑問も違和感もなく俺は合点がいった。
「そういうことだな」
と呟き笑ったと思う。真理が振り向き俺に微笑みかけた気がしたのだ。
それから1日か2日か、「みなおなじ」の解釈のような事をして過ごしたが、最期に不味くてもいいから水を飲もうと、壁に寄りかかるようにして起ち上がったとき、足音が近づきドアを叩く音がした。
訪ねてきたのは近所の親爺だった。

「おそくなって申し訳ない」
親爺はそう言うと、俺に茶封筒を渡しそそくさと帰って行った。
部屋にへたり込み、封筒を開けると五千円札が入っていた。
そういえば、1年近く前にバイク(原付)を売っていた。金はいつでもいいと言ってあったこともあり忘れていた。
数分であったろうか、その五千円札を見つめていて気がついたことがあった。
「死ねばいいんだろ。わかったよ、とっとと消えるよ」
自分では淡々と餓死する気でいる、あるいは諦観していると思い込んでいたが、実はそうではなく、心の奥底のさらにその裏側に堅く小さな感情があること、焼き尽くされ白く無臭になったヤケクソやフテクサレの生温い灰のような感情があることに気がついたのだ。

「生きろってか・・・」
神様か宇宙か何かわからないが、生きて行けよと言われたような、生きることを許されたような、生きてまだ何かやるべきことがあるような意識が芽生えた。
俺の心は再起動した。

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