気配の肌ざわり

無意識に気配を察して撮る写真がある。
綺麗だからとか可愛いからとかではなく、いやそれもあるにはあるのだろうが何となく撮り後でPCに移動してから見ると、何か他の画像とは大きく異なる印象を受けるような。
被写体もしくはそれを包む何かの気?が、それを見る私をも包み込もうとしてくるような不思議な気分になる。
いくつかあげてみる。

1.たぶん20年ほど前、ふと美ヶ原で御来光を見たくなり車で出かけたおりの画像。
  ビーナスラインのどこかだろう、休憩時に何となく撮影したと記憶する。
  真ん中あたりに少し出っ張ってる黒い影は富士山。その上空の濃い青が好きだ。
  気配としては、画面全体が大地の気で満たされている印象。鼓動する地球の皮膚の気配を感じる。
  はるか遠い昔の記憶に触れたような心地良さを与えてくれる。

2.豊田市の鞍ヶ池公園にある花壇の草花。
  草花の放つ何かとは明らかに異なる気配を感じる。
  それは花の周りで踊りながら、私を穏やかで少し華やいだ気分にさせてくれる。

3.これもたぶん鞍ヶ池公園の展望台で撮った曇り空の太陽。
  どういうわけか、善も悪も正も邪もみな同じなのだと諭されている気がする。
  有るということ、無いということ、どちらからも解き放たれた先に行けと言われているような気がする。そのような啓示を与えてくれる大いなる何ものかの気配を感じる。

4.清内路村(阿智村に合併されたようだ)にある、「小黒川のミズナラ」という名巨樹。
  素晴らしい樹勢と形が好きで、幾度も訪ねては傍らで缶コーヒーを飲みながら一休みしたものだ。
  超然たる木の気配とは別に、何となく人の気配に包まれている気がする。
  先祖代々この木を祀ってきた地元の人々の優しげな思いと敬愛する心が集まり、周りに揺らめいている気配。

5.豊田市の猿投神社境内の手水舎。
  これは本当になぜ撮ったのかよくわからない。だが、何か圧を感じつつも見入ってしまう。
  ときおり手水舎を訪れる何ものかの、犯すべからざる威容の残り香のようなものを感じる。
  神社だからあたりまえかもしれないが、神聖な気配。

6.これも豊田市の猿投神社近くの林。
  何となく「撮って」と言われたような気がして撮った。
  ぱっと見、清浄でで静かなように見えるが、実は数多くの何ものかがふわふわと飛び回っている。
  それらはとても優しく親しげで愛くるしい風情だが、下手に気分を害すと、それらを庇護する何ものかにより罰を受けることになるだろう。
  気にいった者のみを誘い、その心と体を癒してくれる存在が、生成と消滅を繰り返している気配。

超能力や霊感?の強い方々ならしっかりと気配のみならず実体を感知できるのだろうが、自分はそういった能力が無いため、かすかな肌ざわりのようなものを感じるのみ。

すべての人の無意識は宇宙のすみずみにまで極薄く広がっているのだろうという確信めいたひらめき。

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