少年期 その4 「炒飯とピラフ」
中高生の頃の記憶。隣の市のデパートに大きな書店が入ったとのニュースがあった。読書好きの私には、小野田寛郎陸軍少尉がルバング島から帰還したことや田中角栄がロッキード事件で逮捕されたことよりはるかにビッグニュースだった。
当時の好みは自然科学系書籍、特に宇宙とは?素粒子とは?みたいなの。自転車で行けて好みの本が多少は置いてある書店が一軒しかなく。しかも長時間の立ち読みにいちゃもんつけられて「二度と来ない!」と啖呵をきってしまい、その日以来行けなくなり後悔していたところにビッグニュースだ、心躍らないわけがない。
早速日曜日にバスで隣の市のデパートの確か5階の書店「文泉堂」(うろ覚え)に乗り込んだ。あるぞあるぞ、岩波や新潮以外の初めて見る文庫や色鮮やかな表紙の雑誌。広い店内をくまなく見て回った。私にとってはちょっとした遊園地だった。さてそこで出会ったのが講談社の科学系新書、ブルーバックスシリーズだ。宇宙の話、次元の話、素粒子の話、限りある小遣いをどの本に費やすか迷う時間が至福であった。科学物だけではなく時代小説も好きだったため、私にとって本当にありがたい書店ができた喜びで、日曜日が来るのが待ち遠しくてならなかった。山本周五郎や山手樹一郎、柴田錬三郎などなど、春陽文庫には随分お世話になった。
読書して初めて泣いたのは「フランダースの犬」(ウィーダ)、小学生だった。読書して初めて泣いた時代小説は「変化大名」(山手樹一郎)、中学生だった。このあたりの話は別稿にしよう。
中学高校とよく通った文泉堂で書籍の色香にのぼせた後は昼食をとって帰宅するのが常であった。決まりの店が二軒あった。一軒はいわゆる町中華というやつで、東仙園か東仙閣という名だったと思うが定かではない。食べたのは炒飯、常に炒飯、浮気はしない。
今思えばあれはラードを使っていたのかな、とても香ばしく具は焼豚と玉子とナルトにネギ、それに紅ショウガ。紅ショウガを添えるのではなく具として入っていた。そしてあの妙に旨い中華スープ。誰が始めたのか知らないが、炒飯を蓮華で一口頬張ったところに中華スープで追いかける喜びは忘れられない。あれから半世紀にもなるが、あの幸福感を再現してくれる炒飯に出会ったことがない。もちろん思い出補正が隠し味として効いていることは否定しない。
東仙園?で見た忘れられない光景がある。炒飯を食べ終え幸福感に浸っていた私の隣のテーブルにお婆さんが座り小さな声でライスを注文した。ライスのみだ。すぐにどんぶり飯とたくあん、それとたぶん店主の心遣いの中華スープが運ばれてきた。
初めてではないのだろうことは、何となくお婆さんと店員のそぶりで察せられた。事情はわからないが今も昔も生活に困っている老人というのは居る。彼等は、特に昔の老人は困っていることを主張しない。忍耐と分を知る奥ゆかしい人が多かった気がする。そのような老人に心ある周囲の人々は、これみよがしではなくささやかな心配りをするのが当たり前の世の中だったような気がする。お婆さんはどんぶり飯にゆっくりと手を合わせてから箸をとった。自分はなんとも言えない気分で席を立った。
お決まりの店のもう一軒は喫茶店で店名はまったく覚えていない。我が家で出てくることはないピラフが旨かった。だが味よりもゆったりしたソファーに座り新聞を読みながらピラフを待つ時間が、大人になったような気がして高揚したものだ。中華の店と異なり、観葉植物があちらこちらに配されたやや暗めの店内は、落ち着きとドキドキがせめぎ合う空間だった。たまに父が連れて行ってくれる喫茶店は、畑仕事の合間におっちゃんおばちゃんが寄るやや賑やかな場所だったものだから、大きな話し声のない店内は毎回新鮮で少し気後れしそうな異世界だった。
何も冒険でなくてよい、日常の半径数十キロ以内の中で経験するちょっとした刺激、ワンマンバスで隣町へ行き書籍や雑貨に心奪われ、食事をしながら小さな出来事に刺激を与えられ様々なことに思いを巡らせる。それが精神の涵養につながり学びとなる。
少年はなるべく外にでたほうがよい。冒険でなくて良い、散歩でも良い。みずから五感に新鮮な刺激を与え続ければ、いずれ世界と自分の目に見えない繋がりを感じられるようになると思う。
あの年齢であの場所で食べた炒飯やピラフが旨かったというのは、つまりあの時代あの世の中で食べたから旨かったということなのだろう。そんなことは今更かもしれないが、時々思い出してみれば穏やかで平和な気分に浸れる。それも良い。
時々のんびりと思い出を美化して楽しむのが悪いはずはない。それは人生におけるおやつの時間であり、炬燵で気分良くうたた寝するのとかわりはない。還暦過ぎた親爺へのご褒美、かな。
次回予定は、青年期 その1 「蕎麦とドリア」
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