青年期 その3 「桜鍋と鰻重と河豚ちり」
貧乏学生が年に一度くらいはと贅沢した記憶。
桜肉(馬肉)で有名なのは熊本かと思うが信州でも昔から食されてきた。下伊那出身の母から「おたぐり」といって馬のもつ(腸)を食べる地域もあると聞いたことがある。学生だった頃の松本では、馬刺、桜鍋、馬カツあたりが主だった。ある日、蕎麦の食べ方を教えてくれた友人が、馬刺食べに行かないかと訪ねてきた。いつも唐突だが、たまたま懐具合が良かったこともあり誘いに乗った。山都だけあって、馬肉、鹿肉、熊肉を提供する居酒屋は何件もあったが、せっかくなので専門店へ行こうとなった。有名店が数軒あったが、老舗の「三河家」(うろ覚え。別の店だったかも)を選んだ。
馬刺は生姜醤油で食べたが、柔らかく癖がなく酒「七笑」に良く合ったのを覚えている。「七笑」は木曽の酒だが、木曽あたりには旨い酒が多い。「杉の森」「夜明け前」などが有名。そういえば酒の話もいつかしたいな。馬刺の次は馬の串カツである。特に味の記憶がないのはまあまあ旨かったのだろう。貧乏学生なら何の肉であれカツは旨いに決まってる。
メインは桜鍋だ。具は長葱と桜肉のみだったと思う。味噌と割り下?で煮て、とろみの出た葱と(生卵つけてたか覚えがない)ともにほおばれば、ビールと白飯が止まらない。
鰻。御馳走である。当時松本で鰻といえば老舗の「まつ嘉」。気になりネットで調べたら健在らしい。土日あたりは開店前20組待ちとか。昨今のこの風潮、本当に嫌なものだ。つれと一緒でなければ、どんなに旨いと知っていても3人並んでいたらUターンする当方としては、お気に入りの店に行けなくなるのでやめてほしい。蕎麦屋の「野麦」もそうだ。酒は静かに飲むべかりけり(若山牧水)が出来ないのが切ない。
さて「まつ嘉」だが、当時は客がいや客層ががつがつしておらず、昼でも適度な混み具合だったと記憶する。鰻丼といってもお重が使われていたような気がするが、まあ旨い。当時は気にする余裕もなかったが、たぶん東京式。やわやわの蒲焼きである。ただし、ほぼいつも腹が減っている学生の我々にとって御飯の量が問題だった。
鰻丼二食食べるほどの度胸はない。だが後輩が勇気を出して御飯だけおかわりいただけますかと尋ねてくれた。思いは一つ。こころよく受け入れてくれた。出てきた御飯にはタレがかかっており満足満足だった。追加料金はなかった。ありがたかった。今はそんなことする奴はいないだろう。だいたいどの店でも学生に優しかったと思う。大都市でなかったからかもしれない。
もう一軒有名な店で「桜家」というのがあったが行ったことはない。「鰻の笹蒸し」というのが名物とのことで人気店ではあった。その「桜家」のそばに映画館があり、確か日活系だったかな。「時をかける少女」「汚れた英雄」、当然ロマンポルノも。可愛かずみ、好きだったなぁ。
名を忘れたが松本に河豚料理で有名な店があった。河豚料理など我々にとって高嶺の花、まず話題に上ることがない。だが行くことになったのだ。後輩に中小企業の社長の息子がいて、彼が突然「なんか河豚で有名な店があるらしいんで行ってみませんか?」と誘われたのが発端。ただし、そう言われてその場にいた貧困度の似たような男女数名が「よし行こう」なんてことになるわけもなく、計画を立てようということになり、一月近く先のことと決まった。
言い出しっぺの彼は、車の改造に200万円かけるようなボンボンだが嫌みはなく身長も高くがっしり系の美男子という、しゃくに障る身分だった。「だいぶん先ですね。じゃあ俺が下見しときます」と言い、実際下見した後皆と調整して予約してくれた。良い奴なのだからかなわない。
ふぐ刺し、いわゆる「てっさ」というやつ。特に感動はなかった。これは旨いと思ったのは唐揚、もちろん河豚の。淡泊な白身で旨味は控えめだが主張はあるという感じ。いくらでも食べられると思った。一番感動したのは河豚ちりの〆のおじやである。ここでも店側が気を利かすというか無言のサービスをしてくれた。我々は5人か6人で行ったのだが、てっさにしろ唐揚げにしろ注文したのは一皿か二皿だったと思う。河豚ちりにしても3人前だったか。
一人裕福なのがいても頼るわけにもいかないし酒も多少は飲むからどうしても人数より控えめの注文になるわけ。店側が察しないわけがない。学生だし満腹にしてあげようと思ってくれたのか、いったん下げられた鍋が再登場したときには少し異常に見えるくらいのおじやが。残すわけにいかないので、我々は前屈みすると口から溢れるのではと思うほど食べた。味は抜群。社会人になってから幾種類もの鍋料理に出会ったが、あのおじやを超える〆はない。
貧乏だから、日頃手が出ないものだからよけいに旨いと思うことはあるだろう。遊びにしても、金はないが時間はある学生時代は、上高地や美ヶ原、少し足を伸ばして戸隠とかに気軽に行けたものだ。しかし、社会人になって数年、仕事にも慣れてきた頃からはまあ時間がない。過労死などという言葉もなく、「24時間働けますか」などという不穏なTVCMに違和感も感じない生活で慢性睡眠不足、金はいいから寝させてくれと何度か叫びたくなったものだ。
学生時代のことに思いをはせていると、定食のセットのように忙しく働いていた頃の記憶も蘇ってくる。
記憶ってのは面白い。楽なことも苦しいこともあった、良いことも悪いこともあった、無敵に思えるときも自己嫌悪に陥るときもあった。色々な記憶を連鎖的に思い出すのは、無意識のうちに心のバランスを保とうとしているのかもしれない。
鬱で会社を休んだことがある。今わかるのは、心のことは心にまかせるということ。身体には自然治癒力というものがある。心にもそれはある。もちろん人にもよるだろうが心の病は心にまかせるのが良い。だがとても時間がかかるから、社会人では状況がゆっくりを許さないかも。難しいね。私は、「自分は死人なんだ」と自分に言い聞かせて仕事を続けていたな。馬鹿だよ。だから完治はしていない。その分定年退職後の今は、ただただのんびり怠惰を楽しませてもらってる。
長くても100年、太陽や地球のことを思えば短い一生、だから遊んでいられないと考えるか、だからゆっくり味わおうと考えるか、どちらにしても一瞬のこと。今の私は、ゆっくりが心地良い。ゆっくりと思い出に浸りたい。なにもかもゆっくりがいい。
次回予定は、青年期 その4 「3食入焼きそばと自販機ハンバーガー」
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