思い出は食べ物と共に -5-

随筆

青年期 その1 「蕎麦とドリア」

新米大学生の頃の記憶。実家を離れ長野県松本市の大学に通い始めて間もなく、隠れ人見知りの私でも数人の友人ができた。当時の学生の多くはおおむね金がない。家賃+αを実家に頼っていた私でも外食はなるべく控え、普段は一袋3玉入りの焼きそばを買ってきて電熱器にフライパンで調理というのが多かった。もちろん具なし。
栄養はどこで補給するか? 食事付きのアルバイトである。特に大きめの旅館などは急なキャンセルで食事が余ることがよくあるようで、そんな時は私達学生アルバイトの出番だ。肉魚野菜バランス良く摂取させていただいた。今では許されないことかもしれないが、当時は大らかというかいい加減というか、でもありがたいことでした。

話が逸れたが、私と同じ愛知県人の友が、せっかく信州に来たのだから蕎麦食べてみないかというので、書店の観光ガイドブックを立ち読みして選んだ蕎麦屋に行ってみた。両親の嗜好外だったのだろうか、それまで蕎麦を食べたことがない私と、同様な境遇の友とでおそるおそる蕎麦専門店初体験ということ。
蕎麦の食べ方にうるさい人がいるということを今は知っているが、当時はグルメなどという言葉もなく、私も興味がなかった。初めてとはいえ所詮は麺類、普通に食べるだけだと思っていたところに何やら木でできた四角い湯桶?が運ばれてきた。蕎麦湯だという。なにもの? 私達は面食らった。
その「なにもの?」の蓋を取って覗くとやや白濁した湯が入っている。友と私は暗黙の了解で「なにもの?」は存在していないことにし、蕎麦を食べ終えてとっとと店を出た。初めてで知らないのは当たり前。素直に尋ねたら良いのに若き凡人はこんなものだ。

半年ほど過ぎたある日の夕方、関東出身の友が来て夕食をおごってくれるという。パチンコで打止めしたとのこと。で、蕎麦屋へ連れて行ってくれた(その後寿司屋居酒屋とハシゴした)。そこで私は蕎麦屋初体験の話をしたのだが、蕎麦屋で蕎麦湯飲まないなんて信じられないとあきれられた。
彼に言わせると「蕎麦湯飲まないなら蕎麦屋へ行かない」だそうだ。あの時見て見ぬ振りをした「なにもの?」は蕎麦好きの者にとっては蕎麦に勝るとも劣らないものなのだと、若き凡人は胸に刻んだ。そういえば、当時蕎麦専門店というのは松本市内で目につくほど多くなかった気がする。もちろん観光客の多い松本城周辺や駅などの立ち食い蕎麦は別だ。家で打つことが多かったのかもしれない。

いろいろ思い出す。蕎麦をおごってくれた彼に私がおごることもあった。もちろんパチンコで大勝したときだ。当時の貧乏学生にとってパチンコは娯楽でも道楽でもない。情報網を駆使して勝てる台でしか打たない。負けたら死活問題。とはいえ平均して勝率は7割弱くらいか。まだ探せば手打ちも残っていたし釘を読み台を選ぶ眼力が有効であった。大勝ちしたときに行く店はほぼ決まっていて洋食屋だった。頭のついたエビフライと牛肉のハンバーグのセットが懐かしい。だが、年に2・3度のこと。パチンコで得た金は基本的に生活費なのだ。

入学初年度は、松本の奥座敷と言われる浅間温泉の近くのアパートのような寮のようなところでした。洗面所・トイレ・風呂は共同、あまり利用しなかったが夕食は食券を買っておき朝頼んでおけば用意してくれるシステム。火祭り(松明祭り)など浅間温泉の思い出も色々あるが、それはまた別の話。
近所に喫茶店が二軒あり、入学以来私は入ったことがなかったのだが、ある日、あの蕎麦をおごってくれた友がやってきて、いきなり「ドリア食べに行こうぜ!」と連れて行かれたのがその喫茶店の一つだった。これまた私は無知で、ドリア? なにもの? と面食らった。当時はドリアを出している喫茶店はとても少なかったと思うが、彼はそれを見つけたのだ。
人生初ドリア、今思えばエビドリアだったが、いや熱い熱すぎる。スプーンを入れたときの湯気や器から伝わる熱気で警戒はしていたが、あれほど熱いとは想定外。炊きたての御飯や出来たての味噌汁を扇風機の風で冷ます猫舌の私に提供してよいものではない。犯罪といって過言でない。小さじ一杯ほどしか口に入れられない。ま、冷めたらとても旨いと感じ入った。
思えば彼には様々な店に連れて行ってもらい初体験が多かった。回らない寿司屋(出前は経験済)回る寿司屋、ハンバーグ専門店、パスタ専門店、高級喫茶店、ファミリーレストラン、馬肉メインの料理屋、皆良かった懐かしい。彼と原付バイクで出かけたのも良い思い出。諏訪湖の花火、辰野のほたる祭り、高遠城址の桜。ああ思い出した…彼は島崎藤村が好きで、藤村が通ったという小諸の一膳飯屋にも連れていってくれたなぁ。そこで初めて鯉こくというものを食べた。味は覚えていない。千曲川が県境を越えて新潟に入ると信濃川になるのだよと、その時に教わった。彼にはもっともっと敬意と感謝を伝えておけばよかったなぁ。天界にも一膳飯屋がありますように。

原付バイクで様々なところに行ったが、大好きで何度も訪ねたのは、美ヶ原と鉢伏山。標高2,000mほどの所に美ヶ原高原がある。夏には牛が放牧され絵に描いたような長閑さ。当時は観光客も少なく晴れていれば光と風と我が身をゆだねあいながら散歩することを許される希有な場所でした。さらに好きだったのが鉢伏山の展望台。鉢伏山は美ヶ原のお隣さんで、草競馬(今は知らない)で有名な高ボッチからすぐの所だ。その鉢伏山頂の展望台にあがり寝転がって空と雲を眺めるのが大好きだった。音は風と鳥が放つだけ。ゆったりと流れゆく雲を眺めていると宇宙と地球と自分が一つになったような安心感や心地良さに包まれたものだ。また行ってみたいなと調べてみたら、展望台は老朽化で危険なため立ち入り禁止だそうだ。

時とともにすべてのものは変わりゆく、ほんの少しずつだが気がつけば大きく変わってしまう。変化が良いこともあれば悪しきこともある。嫌な思い出には、時が薄衣を纏わせてくれるが、好ましい思い出に時は何をしてくれるのだろうか。甘い香りを纏わせてくれたらうれしいな。ほんの僅かな苦みを添えてくれたらなお好い。
思い出は、時がたつほどに贅沢になるもの。ただただひたっていたい。

次回予定は、青年期 その2 「山賊焼とA定食」

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